連日ニュースでも報道されているニュージーランド大地震。しかも今回は日本人が多く居たであろう建物が崩壊するというとても痛ましい状態になっているようですが、先の阪神淡路大震災の時も同様に「何故、建築物が人を守れない?」という感覚に苛まされています。
阪神淡路の時は建築家として、そして今回は元建築家として。
しかも今回の日本人学生が多く居たであろう建物の崩壊した状態を見ていると、「設計者は何をした!」と言いたくなります。特に私も携わっていたデザインを主に受け持つ「意匠」と建物の強度を計算する「構造」の担当者。
といっても建築設計の世界はどうしても「意匠」が中心となるので、「構造」の担当者も「意匠」に押し切られることも多い現実。この「意匠」は構造のみならず設備も含めて総合的に「設計」を受け持ち、加えてコストまでもコントロールするのでどうしても「お山の大将」になりがち。特に今回のあの崩壊を見ると「意匠に押し切られた構造」という構図が見え隠れしているように思えます。
現に崩壊前のあの建物はデザイン的には開放感があっていいのかもしれませんが、構造的には壁が少なすぎ。壁が少ないということは構造的に弱くなる原因になり、現に今回崩壊した建物に関しても壁が多いコアシャフト部分(エレベーターや階段など)だけが残ってあとが崩壊したという状態に。
ちなみに日本でもオフィスビルなどは今回崩壊した建物と同じようにコア部分だけ壁が多くてオフィスは全てガラスという構造も多いですが、ある程度高層になれば柔らかい構造になるので建物が地震などの揺れを吸収するのでそれほど心配いらないと思います。それ以前に日本の場合は地震が多いこともあって設計時にはかなりの強度を求められます。
私もコア部分だけ壁が多くてオフィス部分が全てガラス張りという高層オフィスビルを設計・デザインしたことがありますが、その際も記憶では「阪神淡路大震災の1.5〜2倍」だったかな?そのレベルの地震が来ても計算上は耐えうる設計にしていました。しかもそれが「最低レベル」の設計で、実際はそれ以上に強度を高めた設計にしていたかもしれません。
日本の場合、建築基準法などに定められている構造基準はあくまで「最低の基準」であって「推奨される基準」ではありません。なので設計サイドで先の話のような独自の基準を設けて設計することが多いのですが、今回崩壊した建物はどうしても地震に対する考えが甘かったと思わざるを得ません。
デザイン優先で・・・
まだ可能性は残っていると思いますので、少しでも早くがれきに埋もれた人々を救出して欲しいと願う次第です。
ちなみに今回崩壊した建物のような構造をしている建築物はある意味沖縄にはとても多いと思います。といっても外壁がガラスばかりの建物という意味ではなく、とかく壁が多い集合住宅や一般の民家に。
1階部分です。1階部分が駐車場になっている建物。
とにかく沖縄の建物で1階を駐車場にしているものはその1階に壁が少ない!元建築家として怖くなるほどの建物がとにかく多い。先の全体が崩壊した建物は全てに壁が少なかったので、ある意味建物が軽いのである程度の揺れには耐えられるかもしれませんが、沖縄の建築物は1階が壁がない駐車場で2階以上が壁ばかりの構造体だと、いわゆる「頭でっかち」になって揺れはさらに激しくなります。しかも1階部分に壁が少ないからその上階の揺れが全てその壁が少ない1階部分に集中して大地震が来るとすぐに1階は崩壊してしまうでしょう。もちろん1階が崩壊すれば2階以上がそのまま1階を押しつぶすだけならまだマシですが、実際は連鎖的に全て崩壊する場合が多いのです。
確かに台風だけならその程度の構造でも問題ないですが、沖縄でも大きな地震は起こりうる可能性はありますので、どうしても沖縄の建築物は怖く感じるものが多いと思います。
元建築家として沖縄の建築物は「建築基準法などの最低の基準」を満たしているだけで、「阪神淡路大震災の何倍」を満たす構造レベルではないと思います。そもそも構造のみならず意匠においても地震のことをまるで考えていない建物がとにかく多い。
今回のニュージーランド大地震を他人事とは思わないで、沖縄でも少しは地震に対する意識を高めて欲しいものです。今回のようなことが「起きてから」では遅いと思います。そのために建築家ができること。デザインやコストばかりではなく、構造にも少しは目を配って欲しいものです。
そのためにも設計者はもう少し自分が設計した建物に責任を持つべきだと思います。施工者に責任を転嫁するのではなく・・・
(コメント不可)